彼は
宰相にならうとか人心を高めやうといふ野心や理想はなかつたが(作家のうちで最もなかつた)然し、「貧乏でなければならなかつた」。
この話は、実に面白いではないか、右筆といえば、今の秘書官だが、
宰相の片腕ともなるべきこの右筆が、孔子の名さえ知らないといえば、その人の学問も大抵は知れる。
余りに評判が高くなったので時の
宰相アスキスは、そんな馬鹿なことがある筈はない。
某大国
宰相の特使だと称する人物が、このたび金博士の許にやってきた。
またこの杉浦というやつが、図々しくって押しが太くて、鼻柱が強くて、大臣
宰相でも、公爵でも、何の遠慮もあらばこそ、ぐんぐんぶつかって行く男なのです。
加賀の
宰相治修の家来に知行六百石の馬廻り役を勤める細井三右衛門と云う侍は相役衣笠太兵衛の次男数馬と云う若者を打ち果した。
社は三芳野神社、寺は喜多院、徳川初世の黒衣
宰相と云はれたる天海、即ち慈眼大師示寂の處にて、東照宮もあり。