わが足に膏そゝがむ人もがなそを黒髪にぬぐふ子もがな(
寺院にて三首)
ここに摩利支天を安置し、これに冊く山伏の住える
寺院を中心とせる、一落の山廓あり。
一行はいま私が講演した会場の
寺院の山門を出て、町の名所となっている大河に臨み城跡の山へ向うところである。
しかも彼等の頭の上には、——ラマ教の
寺院の塔の上にはかすかに蒼ざめた太陽が一つ、ラッサを取り巻いた峯々の雪をぼんやりかがやかせているのである。
現にこの首府のまん中にも、こう云う
寺院が聳えている。
この
寺院と斜かいになった十字路の角は、ロシヤ人の酒場だった。
ところで、物語を始めるに先立って、
寺院の縁起を掻い摘んで述べておくことにしよう。
去んぬる頃、日本長崎の「さんた・るちや」と申す「えけれしや」(
寺院)に、「ろおれんぞ」と申すこの国の少年がござつた。
寺院の堂塔が王朝時代の建築を代表するように、封建時代を表象すべき建築物を求めるとしたら天主閣を除いて自分たちは何を見いだすことができるだろう。
窓からは、朧夜の月の光の下に、この町の堂母なるサン・ルフィノ
寺院とその前の広場とが、滑かな陽春の空気に柔らめられて、夢のように見渡された。