「コラコラ、今から居眠りをするようでは駄目じゃッ」と、髯
将軍の銅鑼声はまず車中の荒肝を拉ぐ。
将軍のお供とはいうものの、参内その他の式日を除いては、さして面倒な勤務をもっていない彼らは、思い思いに誘いあわせて、ある者は山や水に親しんで京の名所を探った。
齢は五十を超えたるなるべけれど矍鑠としてほとんと伏波
将軍の気概あり、これより千島に行かんとなり。
それは
将軍秀忠の江戸から上洛するのを待った後、大阪の城をせめるためだった。
御承知の通り、川崎は厄除大師と云われるのですから、
将軍は四十二の厄年で参詣になったのだと云うことでした。
南方の丘陵は、昔、田村麻呂
将軍が玉造柵を築いたところ。
将軍さまがご出座なさっているというのに、恐れげもなくおしりを向けて、さかんにちびりちびりと杯をなめていますぜ」