いいや、意気地が立てたい! 長国は只武士の意気地を貫きたいのじゃ! ——中将程の天晴れ
武将を何とて見殺しなるものかっ。
歴史は
武将の行動として花さき、教育は武家の文化として実を結んだ。
とにかく光秀は、私憤を晴すと共に、天下を計ったに違いなく、私憤だけなら、光秀ほどの利口な
武将が、どうにか理窟をつけて、辛抱出来ない筈はないのである。
供奉の
武将達も、或は河内に、或は伯耆に、北条氏討滅の為にあらゆる苦悩を味った訳であるから、此の日の主上及び諸将の面上に漂う昂然たる喜色は、想像出来るであろう。
南方の丘陵が
武将の旧跡なら、北方の丘陵は宗教の丘である。