戦国時代の権謀術数といふものはこれ又自由の天地で、力量次第といふのであるが、かうなると
小者は息がつづかない。
そういうわけで、町奉行所から公然認められているのは少数の
小者即ち岡っ引だけで、多数の手先は読んで字のごとく、岡っ引の手先となって働くに過ぎない。
おどろきながら
小者が、不審にたえないといったように首をかしげましたものでしたから、早くもその烱眼のピカピカとさえたものは名人右門です。
差し出したのといっしょに、左右から
小者が塩づけの寝棺に近づいて、こじあげるようにしながら、長い青竹で、音蔵のむくろの背を返しました。
直接、奉行に出馬のお許しを願ったとみえて、ゆうぜんと構えている名人右門をしり目にかけながら、手下の
小者を引き具して、これ見よがしにもう駆けだしました。