一、山口の方へハ薩州人黒田了介と申人参
居候故、此人とともニ桂氏ハ先日上京と承り候。
今なれバ彼ユニヲンに左馬をのせ候ても宜かるべく、左馬事ハ海軍の事ニハ今ハ不幸者と雖ども、度※戦争致候ものなれバ、随分後にハ頼も敷ものとも相成候べしと楽
居候。
然し私が彼の家で遇されたやうに、彼が方々で居心持のいい
居候でゐられたかどうか甚だ疑はしいものがある。
一家四名の家族達は、一名の
居候を二階へ置いて、総勢余すところなく深い篁へ集合したことになる。
僕と好敵手は尾崎一雄で、これは奇妙、ある時は処女の如く、あるときは脱兎の如く、時に雲助の如く喧嘩腰になるかと思うと、時に
居候の如くにハニカむ。
歌舞伎の下ッ端で、オヤマの修業をしてゐたのだが、戦争中から食へなくなつて、オコノミ焼の
居候をしてゐた。
且、文庫屡ば御寄贈を辱うし奉謝候貴兄の批評は大に愛読いたし
居候益々御尽力あらんことを祈り申候例の乱筆御ゆるしを乞うの外なく候不一
木魚生」とあり、それから「只今は帰りがけに巴里によりて遊
居候その内に帰朝致久振にて御伺申すべく存候御左右その後いかが被為入候哉。
そして十二月から翌年の二月まで、小田原の友人の家へ
居候していた。
「大名は九十五ヵ所右の内三四度も忍び入候処も有之由」それで結局「〆八十軒程は荒増覚
居候由、此事限り無御座候此金高三千二百両程。