水の垂れそうな秋の空、凍ったような純白の雪、この
崇高な山の威霊にうたれて、私は思わず戦慄した。
死をもつて信念を貫くこの
崇高な姿は、常人もなほ常時にあつて屡々軽率に自負しがちであるにも拘らず、極めて少数の偉大なる人格が為し得たにすぎなかつた。
戦争の如き
崇高偉大なる事実が、単に事実として率直に語られて
崇高偉大で有り得ないやうなら、むしろ語らぬ方がよい。
樗牛の清見潟は
崇高だらうが、我々なんぞとは、趣味が違ふ』云々と云つたのは、たいへん面白い。
海に入れられて水でびしよびしよに濡れた若い娘たちの痛ましい笑顔は、儀式といふ
崇高な藝術的活動の裏にかくれた 〔e'rotique〕 であつたに相違ない。
欧洲の理想界に形而上派の興りてより、漸くにして古代の
崇高なるプラトニックの理想的精神を復活せしめ、爾来欧洲の宗教界、詩文界に生気の活動し来りたるを見る。
我文学を繊細巧妙にならしめて、
崇高壮偉にならしむる能はざりしもの、畢竟するに他界の観念なくして、接近せる物にのみ寄想したればなり。
換言すれば、ある一つの仕事を熱心誠実にくり返していると、その心境なり、その動作なりが、イツ知らず純一
崇高化して来て、自然と能の型の均整美に接近して来るのだ。
高潔
崇高なる詩人哲学者は悉く、戦争の邪念を悪む、而して英雄中の英雄なる基督に至りては堅く万民の相戦ふを禁じたり。