※元より勧進帳のあらばこそ、笈の内より往来の、
巻物一巻とりいだし
チャップリンは、二
巻物の時代だけでも立派な芸術家であつたのだ。
巻物形式までは略同様であったが、綴本形式になってからはまるで変った形式となった。
只今では帯といっておりますが、慶長時代では
巻物と申しておったようでございます。
公家・長上の家で興行せられた番の
巻物なら、其処の亭主の君の作物なる事を示してゐるのである。
チャップリンは、二
巻物の時代だけでも立派な芸術家であったのだ。
さう云はれて見ると、成程その二人の男は、箒をかついで、
巻物を持つて、大雅の画からでも脱け出したやうに、のつそりかんと歩いてゐた。