それから両国の
広小路辺にも随分物売りがいたものだった。
その頃この
広小路のすが凧売りの錦絵が出来ていたと思った。
けれども、名古屋の名古屋らしさは、午前零時以後の
広小路界隈にあるといつてよい。
広小路のそゞろ歩きに、草市のはかない情趣を懐しみはするけれど、秋に先だつ東京の盂蘭盆には、虫さへ鳴かない。
しかもこの上はともかくも金龍山へ行ってみて、そこでお断りを食ったらば、
広小路の方へ行って探してみたらよかろうということになった。
この六月、両国の
広小路で偶然かれにめぐり逢ったのが始まりで、その後親切にたびたび尋ねて来てくれる。
二人はいつも組合って、両国の
広小路、すなわち西両国に観世物小屋を出していた。
「……両国の
広小路に沿うて石を敷いた小路には小間物屋、袋物屋、煎餅屋など種々なる小売店の賑はふ有様、正しく屋根のない勧工場の廊下と見られる。
それでもまだ
広小路には夜空にぼうぼうとカンテラかアセチレンガスか、そんなものをとぼして、ゴム管の蓄音器屋などが店をしまはずにゐた。