私達は家の真中の
広間——今強いて云へば応接間でしようか——に晶子夫人をお待ちして居りました。
私たち二人は、その晩、長野の町の一大構の旅館の奥の、母屋から板廊下を遠く隔てた離座敷らしい十畳の
広間に泊った。
この調子で、薄暗い
広間へ、思いのほかのものが顕れるから女中も一々どれが何だか、一向にまとまりが着かなかったのである。
この青蛙堂の
広間で、俳句や書画の会が催されることもある。
前室を通って、次の部屋にとびこむと、ここはガランとした
広間だ。
広間の庭は、織田家の侍八百人余り、勝家の供侍三百余と共に、物々しい警固だつた。
神田錦町の錦輝館(きんきかん)の二階の
広間、正面の舞台には伊藤痴遊君が着席して、明智光秀の本能寺襲撃か何かの講演をやってる。
急に張合が抜けて、恭三はぼんやり
広間に立って居た。
そのちいさなお窓からは、なかの
広間がのぞけました。