云い忘れたが岳陰荘は二階
建の洋館で、北側に門を構え、階下は五室、二階は東南二室からなり、その二室にはそれぞれ東と南を向いて一つずつの大きな窓がついていた。
紳士は、そのようなビルディングの蔭を七つ八つも通りすぎてから、これはまた何と時代錯誤な感じのする煉瓦
建のビルディングの扉を押して入って行った。
我
建超世願 必至無上道 斯願不満足 誓不取正覚 ——無量寿経——
が、婆さんの行った後には、もう早立ちの旅人と見えて、伴の下人に荷を負わせた虫の垂衣の女が一人、市女笠の下から
建札を読んで居るのでございます。
その中の一つの琺瑯質の壁に蔦の蔓が張り付いている三階
建の、多少住み古した跡はあるが、間に合せ
建ではないそのポーチに小さく貸間ありと紙札が貼ってあった。
見台の端の
建札に小さく、次のような人を喰った文字が書かれてあるのでした。
樹木の多い場末の、軒の低い平家
建の薄暗くじめ/\した小さな家であつた。
見付は小諸風の門構でも、内へ入れば新しい格子作で、二階
建の閑静な御住居でした。
松脂の匂と日の光と、——それが何時でも夫の留守は、二階
建の新しい借家の中に、活き活きした沈黙を領してゐた。
兎も角も一軒
建になつてゐて、小さい庭には粗い竹垣が結びまはしてあつた。