障子に面して、空しく静座すれば、又四日の出遊は、岡釣にすべきか、船にすべきか、中川に
往かんか、利根川(本名江戸川)にせんかなど、思ひ出す。
すると天保十年頃意外にも服部平四郎は突然
往くえを晦ましてしまった。
旅館の主人、馬を勧め、剛力を勧め、蓆を勧め、編笠を勤む、皆之を卻く、この極楽の山、只一本の金剛杖にて足れりと広舌して、朝まだき裾野を
往く。
今は名古屋に
往く人を見送る爲めに新橋に來てゐるのだ。
それが判ると、僕が態々君をお招きした理由に合点が
往くだろう」
又「だが登りもしようが、婦人を傍へ置いて唯寝る訳にも
往かんが、何か食物を取らんではならんが、酒と肴はどのくらいな値段であるか承わって置こう」
と無慾の人だから少しも構いませんで、番町の石川という御旗下の邸へ
往くと、お客来で、七兵衞は常々御贔屓だから、
孔子曰く、自らなして直くんば千万人と雖も我
往かんと。
心しづかに三たびも唱ふれば、紛々たる名利の境を捨てゝ寂静の土に
往かんと願ふ厭欣の念、油然として湧き出づるを覚ゆるなり。
此復読をすることは小学校へ
往くようになってからも相替らず八釜敷いうて遣らされました。