拙者
往年この町に住んでいたことがあるので、思わぬ知人がいるのである。
もっとも母親の半分ぐらいは
往年の宝塚ファンで、オヤジはもっぱらその見解を信用して、宝塚なら安心だ、そういう神話的安定度を得ているもののようだ。
私はまた、
往年新愛知新聞に拠って、いうところの檜山事件に関して、言わねばならないことを言ったために、司法当局から幾度となく起訴されて、体刑をまで論告された。
が、好男子で、もの優しくて、美しい声をしてゐて——要するに如何にも
往年の「文学界」同人の一人らしい、甚だ瀟洒とした先生である。
予は今度「葛城の神」「天馳使の歌」「雷神の賦」等を読み
往年の感歎を新にした。
どうも蛇笏君などから鞭撻を感じた
往年の感激は返らないらしい。
ここは、
往年のカフエ・ミネルワを聯想せしめるところであつて、烟草のけむりもうもうと立ちこめ、人ごゑが威勢よく起る間に、静に西洋将棋を楽しんでゐる者もゐる。
『太閤記』などには、信忠—秀吉、勝家—信孝の間には、
往年男色的関係があったなどとあるが、それが嘘にしても、常からそういう組合せで仲がよかったのだろう。
今や
往年の拿翁なしと雖、武器の進歩日々に新にして、他の拿翁指呼の中に作り得べし、以て全欧を猛炎に委する事、易々たり。
予は少時より予が従妹たる今の本多子爵夫人(三人称を以て、呼ぶ事を許せ)
往年の甘露寺明子を愛したり。