この男は、頤の先に、鼠の尻尾のやうな髯を、申訳だけに生やして、踵が隠れる程長い※布衫に、結目をだらしなく垂らした
茶褐帯と云ふ拵へである。
二人の間の
茶ぶ台には、大抵からすみや海鼠腸が、小綺麗な皿小鉢を並べていた。
が、それにしては着ている
茶の背広が、何となく釣合わない。
その
茶ぶ——机の上には、これも余り新しくない西洋綴の書物が並んでいる。
流行の
茶の背広を着た、恰幅の好い、消息通を以て自ら任じている、——新聞の美術記者である。
今も、黄いろい秩父の対の着物に
茶博多の帯で、末座にすわって聞いているのを見ると、どうしても、一生を放蕩と遊芸とに費した人とは思われない。
同役は、冗談だと思つたから、二三人の仲間と一しよに半日がかりで、虱を生きたまま、
茶呑
茶碗へ二三杯とりためた。
それを、
茶の小倉の袴が、せっせと折目をつけては、行儀よく積み上げている。
麦わら帽子をかぶって、
茶の背広を着た君は、扇を持って、こっちをながめていた。