然し小説の中に於ては恰も私が彼に遇されてゐるやうに
快適に遇されてゐる。
私のやうに胃の弱い者には食堂車ぐらゐ
快適な酒はないので、常に身体がゆれてゐるから消化して胃にもたれることがなく、気持よく酔ふことができる。
非常に繊細な工夫によって建てられた
快適な住居であることがわかる。
とすれば、個々の生活のなかに残された「理想」は、必ずしも装飾としてではなく、精神的欲求としての「生活の
快適さ」であらう。
併し何と云われても、信頼する事の出来ない重臣に取捲かれて居るより、愛妾寵臣の側に居た方が
快適であるし、亦安全であるに違いない。
自分から
快適の予想をして行くような場所なら、却ってそこで惰けて仕舞いそうな危険は充分ある。
それよりは少しでも美しい立派な、
快適な家を作りたいといふ考へが先立つて來たらねばならぬ。