あたり前ならば大学生になれた
悦しさに角帽をかぶって歩いてもいい時であるが、私は何んだか世の中が面白くなくって困った。
悦の序文で見ても、漢書の伝と言ふよりは、漢書をば、其本紀を綱紀として整理したものだ、と言ふ事は出来る様である。
ところで、私は、その話から、いろいろ他愛もない空想をして、ひとり
悦にいつた。
茲[くさかんむりのない玄玄の形の字]に一冊まとめ一般大衆の批評にうつたへることが出来得たことを僕は作者として
悦こばしく思ふものです。
それを聞いてすっかり
悦にいったものは、いうまでもなくお局連のお女中群で——、
近時漸く歴史に小説に、海事を談する者あるを見るに至れるは、余の大に
悦ふ所、今又知友上村海軍少佐の、本書を携へ來つて、著者押川春浪氏の爲に、序を余に徴するあり。
が、おれの心の中には、今までの疲労と倦怠との代りに、何時か静な
悦びがしつとりと薄明く溢れてゐた。