明治三十七年、日露戦争の当時、わたしは従軍新聞記者として満洲の
戦地へ派遣されていた。
ところが、
戦地へ行つてみると、そこの生活は案外気楽で、出征のとき予想したほど緊迫した気配がない。
戦地へでたものは、みんな身に覚えのあることですから、医者だって例外ではありませんよ。
惰性といふものは恐ろしいもので、
戦地ならなんでもないことが、内地では怪しからんことになるよき一例をまざまざと見せつけられ、大いに心を引き締めた次第であつた。
戦地から出陣の命令が来るか、それとも近所に一揆でも起ってくれるかと、そんなことばかりを待ち暮らしている若侍たちの耳に、こういう噂が伝えられた。
東京の友人が
戦地へ赴く前に寄した別離の手紙は私の心に強い刺戟を与へた。
従軍紀行文的なもの(遅塚麗水「首陽山一帯の風光」)及び、
戦地から帰った者の話を聞いて書いたもの(江見水蔭「夏服士官」)は、まだやゝましだとしなければならぬ。