次は外村、淺沼と私が武者小路氏のその妹の所々を讀み、淺沼は彼の精神主義文學に就て、外村は一時間に亙つて彼の
所信を述べた。
若し対立する見解の一方を採るならば、その
所信に於て貫徹を期すべきである。
彼れは平常の
所信と相反した意見を発表して、そこに聊かの怪訝をも感じてはゐないやうに見える。
嘗て幾多の譏笑と非議と謂れなき誤解とを蒙りたるにも拘らず、予の単に創作にのみ執して、一語もこれに答ふる所なかりしは、些か自己の
所信に安じたればなり。
分けて云へば、能信と
所信との別があるとでも申しませうか、即ち、私の能信は信念でありて、私の
所信は如來であると申して置きませう。