「大幣の引く手あまた」など言ふのも、引き綱がやはり、みあれの五色の帛の長くなつた物なる事を示してゐるので、木綿のさがつた小枝を引き
折る事ではなかつた様である。
久保田君と君の主人公とは、撓めんと欲すれば撓むることを得れども、
折ることは必しも容易ならざるもの、——たとえば、雪に伏せる竹と趣を一にすと云うを得べし。
娘さんはかう云つて続けさまにぽきん/\と味瓜の蔓を
折る音をまぢかにさせた。
路傍に藪はあっても、竹を挫き、枝を
折るほどの勢もないから、玉江の蘆は名のみ聞く、……湯のような浅沼の蘆を折取って、くるくるとまわしても、何、秋風が吹くものか。
時には、大森の方から魚を売りに来る男が狭い露地に荷をおろし、蕾を見せた草の根を踏み
折ることなぞもあった。
急進主義者にはこれはよく解つてゐるのでありますが、漸進主義者の間にはこれが解らず往々恩情主義だとか、協調主義だとか云つて、無意義な政策に骨を
折る人があります。
この調子ではスキーを
折る恐れがあると思ったので、ちょっとした岩陰で露営する。
それから又好きならば、御姉様がきつと骨を
折るから、俊さんの所へ行けとも仰有いました。