授業を終えて教室を出ようとした私は、すぐに子供たちにつかまって、全で鳩飼いじいさんのようになるのだった。
程もあらせず、……廊下を急いで、もっとも
授業中の遠慮、静に教員控所の板戸の前へ敷居越に髯面……というが頤頬などに貯えたわけではない。
このてあいは教室の中で喧嘩ばかりしており、兵隊が軍歌を唄って外を通ると、
授業中に窓からとびだして見物に行くのがある。
が、
授業の合い間には弔辞を作ったり、教科書を編んだり、御前講演の添削をしたり、外国の新聞記事を翻訳したり、——そう云うことも時々はやらなければならぬ。
と同時に自分たちは、すでに「諸君」と口を切った以上、その後はさしずめ
授業方針か何かの大演説があるだろうと、息をひそめて待ちかまえていたのである。
何日であつたか、二年生の女生徒共が、何か
授業中に惡戲をしたといつて、先生は藤野さんを例に引いて誡められた事もあつた樣だ。
政府は「
授業をすればお金をやる」と声明したが、この言葉は彼にとっては非常に恨めしかった。