ことに近代文学に於て、文学が知性的になり、
探求の精神が働くに順ひ、かういふ歪められた文章も時には絶対に必要とされる場合も起るのである。
つまりは本当の思想が欠けてをり、より高く生きようとする
探求の意慾がなかつたから、戯作性との合作に堪へうるだけの思想性がなく、ロマンがなかつたのである。
この重量は人間性に就ての洞察
探求から生れるもので、彼の思想が文学的であるのも、この為だ。
その「分」を乗り越えて生きる道を
探求するほど非凡でもなく、芯から情熱的でもない。
処が、我々の
探求する事の出来るものは、単に形容詞の語尾か或は語根の屈折したものかの判断にすら、迷はなければならない例があるに過ぎない。
彼の爾後の作家生涯は、その善を
探求すべき労作だったと称しても好い。
けれども、だがまだ/\万葉を
探求しないでは、万葉の持つてゐる問題が、そのまゝ残る。
そして智識慾も、
探求心も相当激しいにも拘らず、今まで余り開拓されず、無教養のままに打ち捨てられていたのに智子は驚いた。
かれは理智に頼る
探求検索の手を緩めずに、あまり放埓に亘らざる範囲において、ロマンチック思想にも触れてゆかうとする用意をもつてゐたかのやうに見える。