つまり日本全体が八紘一宇教という邪
教徒であったわけで、教祖の東条尊者と璽光様も殆んど甲乙はない。
カトリック
教徒が胸に切る十字は、あれが多分後世忍術使ひの真言九字の原形であつたに相違ない。
天主
教徒の古暦の一枚、その上に見えるのはこう云う文字である。
麻利耶観音と称するのは、切支丹宗門禁制時代の天主
教徒が、屡聖母麻利耶の代りに礼拝した、多くは白磁の観音像である。
巴※※は当初南蛮寺に住した天主
教徒であったが、その後何かの事情から、DS 如来を捨てて仏門に帰依する事になった。
「奉教人の死」の方は、日本の聖
教徒の逸事を仕組んだものであるが、全然自分の想像の作品である。
厳しい日本のクリスト
教徒も売文の徒の書いたクリストだけは恐らくは大目に見てくれるであらう。
數あるマホメット
教徒の記録の中で、その内容の豐かなる點より觀ても、將た又その年代の古き點より觀ても、所謂『印度支那物語』を第一に推さねばならぬ。