かくて桓武天皇の延
暦年間に、有名な坂上田村麿が出て参りますまで、二十数年間にわたった奥州の大乱となりました。
そういうわけで、身代もだんだんに衰えて来ましたので、元の天
暦年間、李は自分の郷里を立ち退いて、桂州へ行きました。
この活版も矢張り支那人によつて發明されたので、即ち北宋の仁宗の慶
暦年間(西暦一〇四一—一〇四八)に、畢昇と云ふ人が發明したのであります。
其中の歴史網鑑補といふ本は萬
暦年間に袁黄といふ學者が書いたとなつてゐるが、此本を我國で寛文三年に翻刻し、爾來相當に行はれ、明治の初年までも讀まれたものである。