されば彼らがもはや倭人王の名を以て、直接支那と交通するが如きことはつとに廃絶し、支那の史籍に見える倭人交通の記事は、晋の武帝泰始二年を以て
最後とする。
黙阿弥を
最後として、わが国には、ほんたうに劇作家といへる劇作家が現れてゐない。
ところが、「さうは問屋で卸さない」の言葉通り、かの構成派あたりを
最後として、欧洲の劇壇は、新柄の発売を停止しました。
最後に小泉孤松の書いた「農家義人伝」の中の一篇によれば、平四郎は伝吉の牽いていた馬に泥田へ蹴落されたと云うことである。
最後に自分は、常に自分を刺戟し鼓舞してくれる「新思潮」の同人に対して、改めて感謝の意を表したいと思う。
大正十三年に「色ガラスの街」——昭和四年に「雨になる朝」——そして、この表題未定の一本を
最後とすることには何の意味もない。
最後に僕のこの原稿を特に君に托するのは君の恐らくは誰よりも僕を知つてゐると思ふからだ。
僕は君に送る
最後の手紙の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。
丁度三時と思わしい時に——産気がついてから十二時間目に——夕を催す光の中で、
最後と思わしい激しい陣痛が起った。