▲余の住ってる町は以前は組屋敷らしい狭い通りで、多くは小さい
月給取の所謂勤人ばかりの軒並であった。
児童を教育するにつけても、学校を卒業させて
月給に有附かせる外には望みは無いから、学校の教課書さへ読んでればいゝやうに思つてゐる。
二十八日の
月給日に堀川教官殿と書いた西洋封筒を受け取るのにはかれこれ二週間も待たなければならぬ。
或る出版会社に勤める彼女の僅かばかりの
月給では、夫の失職中、そうでもしなければ、一家の生活を支えてゆくことがとても出来ないのだった。
先方では、
月給に定めてもいいし、一匹殺して幾らと定めてもいいと言っているんですから……。
当時百円の
月給取と云へば、勿論人に羨まれる身分だつたのに相違ない。
月給の中から黒い背広を新規に誂えて、降っても照ってもそれを着て学校へ通うことにした。