後鳥羽院は、
歴代の天皇の中で、最すぐれた歌の上手であらせられたが、皆、女房と言ふ名で、歌合せをなさつてゐた。
続日本紀を見て、第一に受ける印象は、大倭根子天皇なる称号が、御
歴代の御名の上に付いてゐる事である。
何しろそういう妙画を蔵している家ですから、そこへ行けば黄一峯の外にも、まだいろいろ
歴代の墨妙を見ることができるに違いない。
所が
歴代の誤つた打算主義・妥協主義の積弊が、代一代と支那人の氣骨を銷磨させ、遂に今日の如き怯懦至極な支那人を作り上げたものと想ふ。
〕虚心にして考へると、始皇帝が支那
歴代の君主中、稀有の大政治家であり、又その立てた制度が、久しく且つ廣く後世に影響して居ることは、到底否定し難い事實と思ふ。
唐の玄宗時代に陳藏器が、その著『本草拾遺』中に藥材として人肉を加へて以來、支那
歴代の本草は、何れも人肉を藥材として取扱ふ。
歴代の中でも、東漢・唐・明の三代が、宦官の尤も權力を振ふた時代で、この三代の中でも、唐が一番甚しい。
後の意味で結附けるには歴を形容詞とし、自然に
歴代の史といふことになるのである。
支那の記録にはミシアといふ言葉に、彌尸訶(『貞元新定釋教目録』)、彌施訶(大秦景教流行中國碑)または彌失訶(『佛祖
歴代通載』)などの漢字を充てて居る。