此度の事ハ御船明光丸も与に
沈没致候得ば如何被成候哉。
汽車のなかには沼津の人が乗りあわせていて、三、四年まえの正月に愛鷹丸が駿河湾で
沈没した当時の話を聞かせてくれた。
此頃主人の用物を大坂ニ送り候道にて、備後箱の岬のおきニて紀州明光丸と申船が、私のの船の横に乗掛候て、不計も私しの船ハ
沈没仕候間、是より又長崎の方へ帰り申候。
於私も御存之通、船并公物多
沈没、不計も箱主用候得者、徒ニ移時日候てハ寡君申し訳難相立候。
ときどき、外国の船員が、影と言葉を置き去りにして、闇の中へ
沈没しながら紛れてしまふ。
長崎丸の船長で、長崎丸が機雷にふれて
沈没したことに対し、責任をとつて自裁したのであつた。
ところがちょうど三、四カ月ほど前から、はからずも当時あやうく坐礁
沈没をまぬがれた一貨物船の乗組員を中心にして、非常に奇妙な噂が流れ始めた。
丸辰流に言えば、その鯨の祟りを受けて、北海丸は
沈没した。
ルシタニヤ号の
沈没、先年の大地震、一時に大勢死んで居ります。
かくのごとく
沈没が流行する時勢にあたつて、栄養不良の和製トーキーのみがひとり泰然自若としてろくであり得るわけはどう考えてもない。