広い
河岸には石垣の間に舟虫の動いているばかりだった。
客の一人は
河岸の若い衆、もう一人はどこかの職工らしかった。
すると、伝馬はどうしたのか、急に取舵をとって、舳を桜とは反対の山の宿の
河岸に向けはじめた。
そうかと思うと、今度は
河岸を変えて、旗本席のほうをしきりにじろじろ見回していたようでしたが、うるさくまた話しかけました。
このとき浅草で評判とったのが、上方下りの生き人形に、隼伝之丞の居合い抜き、両国
河岸のほうでは、娘手踊りに中村辰太夫が勧進元のさるしばいでした。
両国
河岸にて、見せ物小屋の絵看板を、見とれておったれば、スルスルと腰から盗みとられたとなり。
昔の芝居は殺し場などに多田の薬師の石切場と一しよに度々この人通りの少ない「百本杭」の
河岸を使つてゐた。
——姓は細木、名は藤次郎、俳名は香以、俗称は山城
河岸の津藤と云つた男である。
家を出て椎の若葉におおわれた、黒塀の多い横網の小路をぬけると、すぐあの幅の広い川筋の見渡される、百本杭の
河岸へ出るのである。