参禅の三摩地を味ひ、諷経念誦の
法悦を知つてゐたので、和尚の遷化して後も、団九郎は閑山寺を去らなかつた。
「十日前の話だが、役所からの帰るさ図らずも霊感の宿るところとなつて、高遠なアナクレオン的冥想の訪れを受け
法悦に浸りながら家路を辿つたと思ひたまへ」
このとおり、何でもない場面を描いてあるのだが、伯爵としては、この二人の気楽さと
法悦にひたっていることが非常に羨しく、そして心の慰めとなるのだった。
わたしは祈祷にその一夜を過ごして、まったく
法悦の状態にあったのです。
それは少しく誇張であるとしても、この忙しい世界にいて、こうして釣っていられるのだけでも有難く、こよなき
法悦がやって来るのである。
況やあの作品にさへ三歎の声を惜まなかつた鑑賞上の神秘主義者などは勿論無上の
法悦の為に即死を遂げたのに相違あるまい。
ジャズというものは、このように人心にすぐ飛び込み、夢想境の
法悦にひき入れてしまうものか。