三十三世紀後の人間は、瀬戸内海の東北隅、元淀川の
流域付近に、巨人の墓場のようなものがある。
その蝦夷の国を日高見の国と申し、今の北上川
流域地方に当るものの如く考えられておりました。
日本の諸都市はバクゲキで焼野原となり、大陸でも、敵軍の攻勢がはじまったという時に、悠長に黄河の
流域を奥地まで撮影して歩けるものではない。
黒髪山の近くに源を発するもの、有田川あり、伊万里川あり、松浦川あり、その
流域は「松浦あがた」のうち最主要なる部に属す。
それから、前段に耕地が山奥深く開けているということを言ったが、その川の
流域に耕地が多ければ多いほどその川の水温は高くなるのである。
いつ汽車で通つても、あの利根川の
流域から上州の山々を望み見る感じは新鮮で、そして深い。
關西地方を知ることの少い私に取つては、ひろ/″\とした淀川の
流域を見渡すだけでもめづらしい。
漢族の原住地の問題はしばらく措き、古代の漢族が黄河
流域の北支那を根據地として、發展して往つたことは、殆ど疑を容るる餘地がないのである。
一體支那の古代に於て、純支那人ともいふべき漢族の根據地は、黄河
流域の北支那に限つたものである。