平家が亡びたのは其の勃興したる平治から初めて檀の
浦の最後までが二十七年、頼政の旗上げから数えるとたった六七年である。
右から左へ、わずかに瞳を動かすさえ、杜若咲く八ツ橋と、月の武蔵野ほどに趣が激変して、
浦には白帆の鴎が舞い、沖を黒煙の竜が奔る。
僧都 はあ、さてもお似合いなされたが、いずこの
浦の風俗じゃろうな。
どうにもならぬからだを持ち煩うて、こんな
浦伝ひを続ける遊子も、おなじ世間には、まだ/\ある。
土用過ぎの日の、傾き加減になつてから、波ばかりぎら/\光る、蘆辺
浦に這入つた。
そこン処は梅林で上の山が桜の名所で、其下に桃谷といふのがあつて、谷間の小流には、菖
浦、燕子花が一杯咲く。
杜子美の梅雨の詩に云ふ、南京犀
浦道、四月熟黄梅、湛湛長江去、冥冥細雨来、茅茨疎易湿、雲霧密難開、竟日蛟竜喜、盤渦与岸回と。
「そのころ渡船を業となすもの多きうちにも、源が名は
浦々にまで聞こえし。
小坪の
浦に帰る漁船の、風落ちて陸近ければにや、帆を下ろし漕ぎゆくもあり。
伊勢の海阿漕ヶ
浦に引く網もたび重なればあらわれにけりで、何時しか伯父様が気附いた。