此所なんぞ入場料十圓也と觸れ出せば、紳士
淑女は雜鬧し、雜誌は動物園の詩で埋まるに違ひない。
それよりも、座席と便所と売店との間を、廿日鼠の如く、無表情にキリキリ舞ひをして歩く美装の
淑女は、一体、あれや、なんですか。
かくの如き男はまた、好んで英語を操り、好んで
淑女たちの御機嫌をとつたに違ひない。
歌舞伎にも新劇にも愛想をつかしてゐる紳士
淑女は、これならと云つて飛びつきさうなものである。
きまぐれな紳士
淑女の一愛読書の程度を遥かに越えてゐることは云ふまでもない。
実をいうとかの女も主人逸作と共に、時代の運に乗せられて、多少、知名の紳士
淑女の仲間入りをしている。
然れども彼の面の醜なるを恥ぢずして、却つてこれを誇る者、渠等は男性を蔑視するなり、呵す、常に芸娼妓矢場女等教育なき美人を罵る処の、教育ある醜面の
淑女を呵す。
特更あれは支那流というのですか病人流というのですか知りませんが、紳士
淑女となると何事も自分では仕無いで、アゴ指図を極め込んで甚だ尊大に構えるのが当世ですネ。