※この春頃の新聞にあった「国際
婦女誘拐魔」の記事を面白いと思いました。
漢の天子が匈奴の襲撃から免れんが為に歳幣を約し、
婦女を送ったというのはすなわちこれである。
其謡は何人が作つたか知らぬが、童幼皆これを口にするに及んで、俄然として江東大水、家流れ家洗はれ、
婦女も裳裾をかゝげて右往左往するに至つたのである。
かれらは山林の茂みに潜んでいて、往来の
婦女を奪うのである。
路を東にとって石門にむかうと、
婦女数十人、いずれも鮮麗の衣服を着て歌いたわむれていたが、※の一行を見てみな躊躇するようにたたずんでいた。
それを気の毒に思いなどするのは、
婦女童幼のセンティメンタリズムに過ぎない。
東京での帝展見物のついでに、物故作家の遺作展を見てまいりましたが、
婦女風俗としての絵は殆どなかったと思います。