而して此等の山の上には山神のあるのみではない、山に相当した駅場のやうな町が建つて居て、其の盛んな所には、おじやれや
遊女の様な者までがある。
パンスケ、
遊女と云って区別をすることはないものだ。
相方の
遊女はお園といって、六三郎よりも三つの年かさであった。
この場合、祇園はあくまでも柳町を圧倒しようとする競争心から、いずこの主人も
遊女の勤め振りをやかましくいう。
御承知の通り、高尾と薄雲、これが昔から吉原の
遊女の代表のように云われていますが、どちらも京町の三浦屋の抱妓で、その薄雲は玉という一匹の猫を飼っていました。
遊女が上から御褒美を貰うなどという例は極めて少ない。
大していい腕ではないが、妻女の小芳というのがつい近頃まで吉原で明石と名乗った
遊女あがりで、ちょっと別嬪、これが町内での評判でした。
と書いて、これから伊勢參宮する同宿の
遊女二人の事を書いてゐる。
又「ふう百疋、成程よい
遊女を揚げれば佳いのを取らなければならんのう、成程それでは酒は別だろうな」
貞淑なる細君は、其の品位を保つこと、恰も大籬の
遊女の如く、廊下で會話を交へるのは、仂ないと思つたのであらう。