ほんとうの批評家にしか分らなければ、どこの新劇団でもストリンドベルクや
イブセンをやりはしない。
彼は第一高等学校に在学中、「笑へる
イブセン」と云う題の下に、バアナアド・ショオの評論を草した。
坪内博士が
イブセンにもショオにもストリンドベルヒにも如何なるものにも少しも影響されないで益々自家の塁を固うするはやはり同じ性質の思想が累をなすのである。
イブセン大流行の當時であつたとしても、これは小山内君の性格が
イブセンを藉りて、その發露を求めたとみても、ひどく間違つてはゐないと思ひます。
モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、
イブセン、シヨウ、トルストイ、……
藤村氏がわざわざ小諸から
イブセンの「ボルクマン」を小包にして、これを見よと云つて送り越したと殆ど同時であつたらう。