火事を見にゆく弥次馬の心もち——丁度、あんなものです。
日中であるからはっきりは聞えなかったが、戦のさけびが聞えたり、
火事の煙がほのかに見えた。
こう言う災難に遇ったのですから、勿論
火事などには間に合いません。
何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか
火事とか饑饉とか云う災がつづいて起った。
何故かと云ふと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか
火事とか饑饉とか云ふ災がつゞいて起つた。
そんなことが頭に残っていたからであろう、近くに二度ほど
火事があった、そのたびに漠とした、捕縛されそうな不安に襲われた。
だから吉田の頭には地震とか
火事とか一生に一度遭うか二度遭うかというようなものまでが真剣に写っているのだった。
わたしの家と申しましても、三度目の
火事に遇つた後は普請もほんたうには参りません。