ドストエフスキーは実人生に於て破廉恥漢であり、その動
物性のあくどさに嘔吐を催せしめるほどの鼻もちならぬ人物であつたかも知れぬ。
人間の動
物性は社会秩序といふ網によつてすくひあげることが不可能で、どうしても網の目からこぼれてしまふ。
それほど、動
物性の蛋白質に飢えているなら、わが輩が素晴らしいご馳走を進上しようと、同情ある口吻をもらすのである。
薄い毛織の初夏の着物を通す薔薇の棘の植
物性の柔かい痛さが適度な刺戟となつて、をとめの白熱した肢体を刺す。
かくなりては、一路植
物性の存在に退化するのみにして、治療の途はあれども、余には既に幹枝の必要なきことなれば、余す手段は安死術のみなりというべし。
そのあたりからは、植
物性の物質が腐敗して発する吐き出したいような臭気が立ち上ってきた。
されど瑞村と余とは香峰を介して人
物性行を傳聞せしのみにて、未だ相識らざりしなり。