わたしはこれを修正すべき
理智の存在を否みはしない。
所謂
理智の逞ましさにかけては、文壇でも菊池の向うを張れる人は、数えるほどもないに違いない。
常陸のになると、此体系を度外視する、
理智の眼が光つてゐる。
冷静な
理智の判断を忘れたる現代に特異の病弊である。
わたしはこれを修正すべき
理智の存在を否みはしない。
従って、屡々自分の頂戴する新
理智派と云い、新技巧派と云う名称の如きは、何れも自分にとっては寧ろ迷惑な貼札たるに過ぎない。
センテイメンタルな小説の作者は、感情を抑へる工夫をするより、
理智を活かすべき工夫をせねばならぬ。
かれは
理智に頼る探求検索の手を緩めずに、あまり放埓に亘らざる範囲において、ロマンチック思想にも触れてゆかうとする用意をもつてゐたかのやうに見える。