我々の本能が気候と関聯する限り、我々の
理知はまた郷愁と関聯せざるを得ないであらう。
気候の言葉が我々の裡に生きる限り、我々の
理知は郷愁を否定することができないだらう。
「われわれが過去を喚起しようとするのは徒勞であり、われわれの
理知のあらゆる努力は空しい。
島国根性の狭量と言つてしまへば、そんなものかも知れぬけれども、
理知では割りきれぬ本性のひとつで、どうにも仕様がない。
松永弾正でも切支丹でも何でも構はぬといふ冷血な意向であり、その意志と
理知の冷たさには、利用される者共が、狎れるどころか、ふるへあがり、憎み、呪つた。
サルトルの「水いらず」が徹頭徹尾、たゞ肉体自体の思考のみを語らうとしてゐることは、一見、
理知がないやうだが、実は
理知以上に知的な、革命的な意味がある。
「朗かな
理知」は、オプチミストの涙よりもペスミストの微笑を愛したであらう。
されば予が詩を読まむとする人にして、之に
理知の闡明を尋ね幻想なき思想の骨格を求めむとするは謬れり。