風俗史専攻の主人が、殊に昔の旅行の風俗や習慣に興味を向けて、東海道に探査の足を踏み出したのはまだ大正も初めの一高の
生徒時代だったという。
が何故か
生徒間では、こはいものにさはりでもするやうに、二時間目事件を口にするものはありませんでした。
堀川保吉はこの学校の
生徒に英吉利語の訳読を教えている。
篤介は広子にも顔馴染みのあるある洋画研究所の
生徒だった。
まだ一高の
生徒だった僕は寄宿舎の晩飯をすませた後、度たびこの二階へ遊びに行った。
が、その
生徒が席に復して、先生がそこを訳読し始めると、再び自分たちの間には、そこここから失笑の声が起り始めた。
ある夏の午後、お松さんの持ち場の卓子にいた外国語学校の
生徒らしいのが、巻煙草を一本啣えながら、燐寸の火をその先へ移そうとした。
僕は巻煙草に火をつけながら、かう云ふ女
生徒の群れを眺めてゐた。
生徒達が大きな声で笑ったり呶鳴ったりしながら、洗面所の方に手を洗いに出かけて行くのが窓から見えました。