諏訪旧蹟誌(安政四年)には、手名椎・足名椎を祭ったのであろうと書いてあるけれども、単に手足
相対することと、呼声の近いのとから想像したので、もとより拠はない。
よんどころなく煙草をくゆらしながら、襖にかいた墨絵の雁と
相対すること約半時間。
二個づつ
相対する地点を連れぬる二直線は、必ずこの「やつか」の上で交叉することを知つてゐるからである。
ところが、四年ばかり前であったか、偶然御手洗邸を訪れると、主人と
相対する晩酌の卓上に、すっぽんの羮の鍋が運ばれた。
彼は、
相対した敵の軍隊同士が偵察戦を試みるようにきいた。
まして徳川時代には
相対死などいうて、一時に二人ずつ死ぬことさえあった。
この宇土半島の西端と天草上島の北端との間に、大矢野島、千束島などの島が有って、不知火有明の海を隔てて、西島原半島に
相対して居るのである。
それはもう確実に現実なる存在の前に一枚の薄い紙の幕をへだてて
相対しているような気持であった。