コレアの手記によれば、農民は米、大麦、小麦で一般
租税を払ひ、更に Nono と Canga のいづれかを収めなければならなかつた。
大和朝廷の統一事業と共に、失職した村の神人たち、或は、
租税を恐れて、自ら亡命したものなどがあつて、山林に逃げ込み、地方を巡遊したりしたものがあつたからだ。
競馬は春秋二季、あたかも農閑期に、いくらかの現なまが——たといそれは
租税やなんかのためには不足だったにしても——村人のふところへ宿かりした時分にあったのだ。
故に國家多端にして財用の足らざるを苦むとも、
租税の定制を確守し、上を損じて下を虐たげぬもの也。