この親爺人の姓名を記憶する能力が先天的に不足してゐて、お客の名前を年中とんちんかんに呼び違へ、諦らめて、蔭では
符諜で呼ぶことにしてゐる。
右に馬印とした物を纏と記した上に、吹き流しを吹き貫きにしたゞけの物を馬印として並べてゐる「弘前軍
符」の類もある。
劉もおどろいて二枚の御
符を貰って帰って、早速それを戸の外に貼って置くと、その夜半に女が来て、それを見て怨み罵った。
しかしながらそれでも結局は例の運
符天
符……そこに落ちつくのが百姓の常道で、まず曲りなりにでも月日が過ごせれば、それで文句は言えなかった。
それより悔改をなし、贖罪
符をうけて僧院を去れるも、帰途船中黒奴はゴアにて死し、嬰児はすぐせと名付けて降矢木の家を創しぬ。
『老子化胡經』とは、老子が西域印度へ出掛けて、幾多の胡國を教化したことを書いたもので、西晉の惠帝の頃に、道士の王浮(或は王
符に作る)といふ者の僞作に係る。