僕はこの頃漫然と兪※の「右台仙館
筆記」を読んでゐるうちにかう云ふ俗伝は支那人の中にもあつたと云ふことを発見した。
これは彼の曲亭馬琴の
筆記に拠つたもので、その話をして聴かせた人は決して嘘をつくやうな人物でないと、馬琴は保証してゐる。
「わたくしは最後に『閲微草堂
筆記』を受持つことになりましたが、これは前の『子不語』にまさる大物で、作者は観奕道人と署名してありますが、実は清の紀※であります。
小説
筆記のたぐいも、この隆昌時代に出たものは皆よろしいようでございます。
すると直接先生から聞いたかそれとも講演の
筆記を読んだか、兎に角その説を知つた子規は大塚先生にかう云つたさうです。
だからその時間も、機械的にペンを動かして、帝劇の筋書の英訳のやうなものを根気よく
筆記した。
もしまただれか僕の
筆記に飽き足りない人があるとすれば、東京市外××村のS精神病院を尋ねてみるがよい。
あれこれと
筆記中、肺を煩ふZ・K氏に對して思ひ遣りなく息卷いた自分の態度が省みられたりしてゐるうち、何時か三宿に着いた。
本來なら其の席で、工學士が話した或種の講述を、こゝに
筆記でもした方が、讀まるゝ方々の利益なのであらうけれども、それは殊更に御海容を願ふとして置く。