気分の動きにつれて
肯定と否定の両頭は直ぐ噛み合いを始める。
私の「堕落論」とか、人生
肯定の態度の底には、この「いたわり」がひそみ、そして、この「いたわり」が徐々に変貌しつゝある。
たれ・いつ・なにが、其の否定文から引き出されて示す
肯定法の古い用語例は、寧、超経験の空想を対象にして居る様にも見える。
壞れるものを壞し終つた後に嚴然として殘る生活への
肯定である。
それに就きては本邦並に欧米の名ある霊媒によりて調査をすすめた結果、ドーも事実として之を
肯定しなければならないようであります。
或る場合には、悲惨をも、残酷をも、人類の進歩のために
肯定するプロレタリアートが徹底的にどこまでも反対するのは、帝国主義××である。
「おれを
肯定しないで人生を
肯定したって、そんなのはうそっぱちだよ」と。
自分はこの世に生れて來たことを、哀しい生存を、狂亂所爲多き斯く在ることの、否定にも
肯定にも、脱落を防ぐべき楔の打ちこみどころを知らない。
並んだ顔を一わたり見渡して、成程、ヴァン・ドンゲンがいったカクテール時代という言葉を
肯定する。