しかるにこれらの多くの疑問のすべては、道鏡が皇胤(註二)であったとの旧説を
是認することによりて、ともかくも或る程度まではことごとく解釈しえらるるのである。
どの新聞も、あたり前のように、否、父正一氏の立場をむしろ
是認して書いている。
『と同時に』を今一つ、名古屋人の心が、薄情で、我利々々だといふことも、口惜しいけれど
是認しなければならぬと思ふ。
鵜に呑ませた鮎には、鵜の歯型がついていて感じはよくないが、味に至っては、たしかに岐阜の人たちの自慢するとおりだと
是認してよい。
それらは事実の厳粛と尊厳とによって
是認され支持されるときにだけ正しく取り扱われるのである。
併し狹義の「抽象」にも世界の改造や經驗の主觀的抑揚と共通の動機あることを認めて、その意義を
是認する點に於いては、私は今日と雖も猶この章の主旨に同感する。