甚だしく手のこんだ名前だから、親父にとっては苦心の作で、あるいは名作と
自負していたのかも知れないが、子供にとっては困った名前であった。
そして、それならば、書きすてゝきたものゝ中に私が在るかと云へば、さういふ確たる
自負は、全く、私には、ない。
肌さえ見せなければ、生れ変ったこの人相、肌を見せないことが多少怪しみをうけても、真の秘密が見破られることは有りッこないとベク助は
自負していた。
就中僕の文章は
自負と虚栄心との吸ひ上げポンプである。
それが、翌年長篠に於て、無謀の戦いをする
自負心となったのであろう。
先生は勿論子規の
自負心を多少業腹に思つたのでせう。
流石、博覧強記を以て
自負してゐる先生にも、この名ばかりは何の事だかわからない。
つまりは、あきらめやゆとり(鴎外博士のあそび)や、通人意識・先覺
自負などからは、嗜かれる文學が出て來ないのです。
明治三十八年に「春鳥集」を出したときには、多少の自信もあり
自負もあつた。
自負心の強いこの詩人にしてこの言をなした、もって傾倒のほどが知られよう。