晩来風浪少しく起こり、
船体ために微動せるも、かえって催眠の媒介となり、遠灘七十三里は一夢のうちに過ぎ去り、暁窓近く紀南の諸山に接見す。
日本海の激浪を避けることには便利であつたが、屈託のない大河の運ぶ土砂のために港内は浅瀬のひろがるばかりであるし、火輪船の
船体は日増しにふとる一方だつた。
そのとき、木曜島近海の暗礁にのりあげて
船体を破損し、修理のために一ヶ月ほど木曜島にとどまったのである。
俵の数は約二百俵、五十石内外の米穀なれば、機関室も甲板の空処も、隙間なきまでに積みたる重量のために、
船体はやや傾斜を来して、吃水は著しく深くなりぬ。
今夜こそと思っていると、朝四つ刻、黒船の甲板が急に気色ばみ、錨を巻く様子が見えたかと思うと、山のごとき七つの
船体が江戸を指して走り始めた。
ときどき、水平線には、一条の煙がかすかにあらわれ、やがてその煙が大きく空にひろがっていくと、その煙の下から一つの
船体があらわれる。