浜田家のお稲
荷さんはこの辺全部の鎮守様みたいなもので、そのお稲
荷さんに遠慮して浜田山には一つのお寺もなく神様もないのだと聞いてゐるが、本当かどうか知らない。
稲
荷鮓屋の主人は最初この附近の色里を夜更ける迄「お稲
荷さん」つて淋しい声で売り乍ら身代つくつて、今は東京全市へ支店を出した立志伝中のものだつた。
豆腐屋さえそこを通る時には
荷を大通りへおろしたなり、喇叭を吹いて通るだけだった。
が、婆さんの行った後には、もう早立ちの旅人と見えて、伴の下人に
荷を負わせた虫の垂衣の女が一人、市女笠の下から建札を読んで居るのでございます。
その荒物屋の前に
荷をおろして、近在の百姓らしい男が柿を売っていました。
その次がシゲノ、それから忽然と窮屈にこゝに鳥居の立つたお稲
荷さんがある。
然ども我云所の俳諧は其俳諧にはことなりと云ふことにて、
荷兮野水等に後見して『冬の日』『春の日』『あら野』等あり。
妻はその暇にようやく追いついて背の
荷をゆすり上げながら溜息をついた。
かく別れ難くいひて、かの人々の口網ももろもちにてこの海邊にて
荷ひいだせる歌、