東海道通行軍旅候て、人数五万と申事のよし、一件に付岩下左兄(方平)早々
蒸気船を以て御国許ニ帰られ、今月十日頃ニハ西吉兄(西郷吉之助)及
其故近日菅野角兵衛が
蒸気船より関に参り候間、くハ敷申上候。
然レバ先頃長崎ニて、大洲
蒸気船ハ三月十五日より四月朔迄の間ニ借入の定約ハ相定め置たり。
」の注記]いやでも乙様お近日私し直※に、
蒸気船より御とも致し候。
私事ハ是より長崎へ出候て、
蒸気船を求候て、使者又ハ飛脚ニ用ヒ候為小ナル蒸気ナリ。
明日西役所え云云の由、早※参上の筈ニ候得ども、
蒸気船借入且手銃千廷取入申候て早※出帆と決心仕候ニ付、通弁者其外、人数をそろへ異館へ参候所ナリ。
唯今田生に聞候得バ、小松者おふかた
蒸気船より帰るろふとの事なり。
およそこゝの橋より下は永代橋に至るまで小
蒸気船の往来絶ゆる暇なく、石炭の烟、機関の響、いと勇ましくも忙はしく、浮世の人を載せ去り載せ来るなり。